ふぃまの風~島のキオクとキロク~      来間島のはなし

NPO法人来間島大学まなびやーのブログです。
来間島は沖縄県・宮古島と橋で繋がる架橋離島です。
昔ながらの伝承や神事、豊かな自然が残る、のどかで美しい離島です。
来間島の古老らから聞いた話や、島の伝統や文化、島おこしの話を、
当法人理事の砂川が綴ります。

来間島の古老から聞いた話

島の古老らから聞いた戦争体験4



市内中心地にあるとある商店。

レジにいつもちょこんと座っているおじいは95歳

フィリピンでの戦争体験をお話しくださいました。



市内のとある商店

二十歳で終戦して、3年して帰ってきたよ
最初はオキナワジマにおってから、フィリピンに行ったよ
それで生きて帰ってきた

フィリピンには最後までいたよ、

私なんかは上におったから。



フィリピンで、
後ろの山があったから、逃げろと、山に登ったんだが、
残念に思う

爆弾が落ちてくるからと知らされて逃げたんだよ


一人、もうこれが最後って思ったんだろうね

和装に着替えたんだよ

その人の奥さんがさ。
向こうが安全と思って行っていたんじゃなかな

黄色でピカピカしていたよ、綺麗であったさ

持ってきていたんだな、フィリピンまで

箪笥の一番下から出して、着て逃げたよ

もう最後って思ったんだな

今でも忘れられんさ

可哀そうだったよ

小さい畦道を行って、
その時ど~んと音がしてみたら、
爆弾が落ちて、
首をびやっと切られていて

あがい、可哀そう

山につく前に死んでしまったよ

あれが忘れられない

だから、戦争はダメだって

商店自慢の商品

おじいは、戦争ご終わって3年目で帰ったと言います。

その頃を「配給時代」と言っていました。

会社勤めをし、そこではモチ粉やメリケン粉を粉にする仕事をしていたそうで、
そのノウハウを生かし、10年後に独立し、お店を始めたそうです。

いつもお店にお邪魔すると、ニコニコと迎えてくださるおじいの壮絶な体験に心が痛みます。

明日は6月23日
慰霊の日です。















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プロフィール
来間島大学まなびやー
来間島大学まなびやー
沖縄県の宮古島と橋で繋がる離島・来間島で活動するNPO法人来間島大学まなびやーです。
伝統を受け継ぐこと、誰もが住みよい島づくり、地域力・来間島力をあげることを目指し、
島ぐるみで地域おこしに取り組んでいます。

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