来間島の行事の記録
ヤーマスプナカの記録
島最大の神事であるヤーマスプナカ(豊年祭)
今年のヤーマスプナカの出来事を忘備録としてこちらにも記します。
以下、まなびやーのFBページより転載します。

来間島最大の神事ヤーマスプナカも無事に終わり、島は祭りの余韻に浸りながらもまた日常に戻りつつあります。
今回のヤーマスプナカ(豊年祭)では、2日目のヤラァとサツヌシュウのやりとりが印象的でした。
ヤラァと呼ばれる伝令係の任命を受けたヤッマシャー(三男家)の二人の男性はまず、
兄であるウプヤー(次男家)を訪問します。
そして、ウプヤーの2人のヤラァと共にサツヌシュウの前に座り、
午後から行われるパレードと奉納踊りの時間等を相談します。
その結果をもってウプヤーとヤッマシャーのヤラァの4名は、長男家であるスムリャーを訪ねます。
そして、ウプヤーでの案をスムリャーのヤラァとサツヌシュウに報告、三家で相談し、最終決定がくだされます。
その後、各家合わせて6名のヤラァはヤッマシャーに行き、最終決定がヤッマシャー一族に報告されます。
そして任務を終えた労をねぎらいここでもまた盛大にもてなしを受け、しこたまお酒を飲まされるそうです。
その後、ウプヤーとスムリャーのヤラァはふらふらになりながらウプヤーに向かい、最終決定を報告。
そこでもまた盛大にもてなしを受け、最後はスムリャーのヤラァは自分たちの家元に報告する、というのが一連の流れです。
今年のヤーマスでのウプヤーでの出来事です。
ヤッマシャーからのヤラァが来る前に、ウプヤーでは激論が交わされていました。
昨年、島では不幸が続きパレードが中止となり、今年もやはり不幸が続いたこともありパレード中止案が出されました。
また、悪天候を案じ、雨ごい座でなく小学校体育館でやるのはどうか?という自治会からの案も出されました。
が、それに対して「果たして本当にそれで良いのか?」と疑問を呈したのがサツヌシュウでした。
そして、絶対に雨ごい座で踊らないダメだ、体育館では意味がない、と言い切ったのはオバアたちでした。
サツヌシュウもおばあもやがて90歳になろうとする方々です。
話し合いは長丁場となり、パレードの中止はすでに新聞報道で出たこともあり、
自治会の意向を受け、中止案を受けることになりましたが、体育館案は断固拒否となりました。
サツヌシュウが言いました。
「こうやってなんでも話し合いをもって決めていくのがヤーマスだ」
「そして、来年はなにがあろうとやろう。
雨が降ろうが、風が吹こうが、槍が降ろうが、雨ごい座で踊ろう。パレードもやろう。
人が死んだからやらないと言っていたら、生きている人間が戻ってこなくなる。
人は死ぬものだから。
いつかは死ぬものだから。
死んだからとか言わないで、来年はやろう」
満場一致をもって、ウプヤーの決断は下されました。
そして、ヤッマシャーのヤラァを迎え、スムリャーに行き、またヤッマシャーに行き、
じっとヤラァが帰ってくるのを待つ時間の長いこと。
「いつもより遅くない?」
「大丈夫かな?」
ウプヤーの婦人部が心配しだしたころに、やっとやっとウプヤーとスムリャーのヤラァが戻ってきました。

サツヌシュウの前に座ったヤラァの報告はこうでした。
「雨が降ろうが、槍が降ろうが、土砂降りだろうが、雨ごい座で踊ります」
その瞬間に沸き起こった拍手と歓喜の雄たけび。
座に入る時間も決定され、一同が胸をなでおろした瞬間でした。
しかしながら、その後天気が悪くなる一方。
区長さんがずぶ濡れになってやってきて
「準備だ大丈夫か?もうやるからには腹をくくって出てきてくださいねえ」
と言葉をかけていったものの、窓の外は大雨と大風。
本当にやるのか??マジ??
と思ってしまいましたが。
雨ごい座に入る15分ほど前に、雨はあがりました。
奇跡的な展開の中、神様に見守られながら、雨ごい座で奉納されたのです。

さて、長文になってしまいましたが、これが私が、私たちが愛する来間島なのです。
今年のヤーマスプナカの出来事を忘備録としてこちらにも記します。
以下、まなびやーのFBページより転載します。
来間島最大の神事ヤーマスプナカも無事に終わり、島は祭りの余韻に浸りながらもまた日常に戻りつつあります。
今回のヤーマスプナカ(豊年祭)では、2日目のヤラァとサツヌシュウのやりとりが印象的でした。
ヤラァと呼ばれる伝令係の任命を受けたヤッマシャー(三男家)の二人の男性はまず、
兄であるウプヤー(次男家)を訪問します。
そして、ウプヤーの2人のヤラァと共にサツヌシュウの前に座り、
午後から行われるパレードと奉納踊りの時間等を相談します。
その結果をもってウプヤーとヤッマシャーのヤラァの4名は、長男家であるスムリャーを訪ねます。
そして、ウプヤーでの案をスムリャーのヤラァとサツヌシュウに報告、三家で相談し、最終決定がくだされます。
その後、各家合わせて6名のヤラァはヤッマシャーに行き、最終決定がヤッマシャー一族に報告されます。
そして任務を終えた労をねぎらいここでもまた盛大にもてなしを受け、しこたまお酒を飲まされるそうです。
その後、ウプヤーとスムリャーのヤラァはふらふらになりながらウプヤーに向かい、最終決定を報告。
そこでもまた盛大にもてなしを受け、最後はスムリャーのヤラァは自分たちの家元に報告する、というのが一連の流れです。
今年のヤーマスでのウプヤーでの出来事です。
ヤッマシャーからのヤラァが来る前に、ウプヤーでは激論が交わされていました。
昨年、島では不幸が続きパレードが中止となり、今年もやはり不幸が続いたこともありパレード中止案が出されました。
また、悪天候を案じ、雨ごい座でなく小学校体育館でやるのはどうか?という自治会からの案も出されました。
が、それに対して「果たして本当にそれで良いのか?」と疑問を呈したのがサツヌシュウでした。
そして、絶対に雨ごい座で踊らないダメだ、体育館では意味がない、と言い切ったのはオバアたちでした。
サツヌシュウもおばあもやがて90歳になろうとする方々です。
話し合いは長丁場となり、パレードの中止はすでに新聞報道で出たこともあり、
自治会の意向を受け、中止案を受けることになりましたが、体育館案は断固拒否となりました。
サツヌシュウが言いました。
「こうやってなんでも話し合いをもって決めていくのがヤーマスだ」
「そして、来年はなにがあろうとやろう。
雨が降ろうが、風が吹こうが、槍が降ろうが、雨ごい座で踊ろう。パレードもやろう。
人が死んだからやらないと言っていたら、生きている人間が戻ってこなくなる。
人は死ぬものだから。
いつかは死ぬものだから。
死んだからとか言わないで、来年はやろう」
満場一致をもって、ウプヤーの決断は下されました。
そして、ヤッマシャーのヤラァを迎え、スムリャーに行き、またヤッマシャーに行き、
じっとヤラァが帰ってくるのを待つ時間の長いこと。
「いつもより遅くない?」
「大丈夫かな?」
ウプヤーの婦人部が心配しだしたころに、やっとやっとウプヤーとスムリャーのヤラァが戻ってきました。

サツヌシュウの前に座ったヤラァの報告はこうでした。
「雨が降ろうが、槍が降ろうが、土砂降りだろうが、雨ごい座で踊ります」
その瞬間に沸き起こった拍手と歓喜の雄たけび。
座に入る時間も決定され、一同が胸をなでおろした瞬間でした。
しかしながら、その後天気が悪くなる一方。
区長さんがずぶ濡れになってやってきて
「準備だ大丈夫か?もうやるからには腹をくくって出てきてくださいねえ」
と言葉をかけていったものの、窓の外は大雨と大風。
本当にやるのか??マジ??
と思ってしまいましたが。
雨ごい座に入る15分ほど前に、雨はあがりました。
奇跡的な展開の中、神様に見守られながら、雨ごい座で奉納されたのです。

さて、長文になってしまいましたが、これが私が、私たちが愛する来間島なのです。
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